「TAKESHIS’」
2005/日本
北野 武




「自分に似ている」
僕がこの監督に対して想っている事、ではない。僕はこの監督が好きで、作品は洩らさず観ているが、いや、僕はこの人が好きなのだ。監督作に限らず出演作もすべて観ているし、十数年前のTBS社会派ドラマシリーズやフジの単発物もほぼ観ている。お笑いブームというものにも寄ったし、ラジオも聴いた世代だ。

本編は「夢」と「現実」が錯綜する話だ。正直こういうパターンは多くある。好きな人も多いだろう。が、それだけに全体の流れとラストがしっくりこないと、ズルズル感やうやむや感で「夢オチかい!」と揶揄される場合が常だ。本編もその危険性は高い。しかし、しかしだ。本編は最初っから夢である。思いっきり夢なのだ。何処までが「夢」で、何処からが「現実」か解らなくさせておいて、都合が悪くなったら夢でした。というやつではない。最初から夢なのだ。

映画評論家はこの作品を難解だと評した。難解というのは難しくて解らないという事だ。「面白くない」なら解る。個人の嗜好でそれもいい。「難解」というのはどういう事だ? 解らないのか?僕は「難解」だとは思わなかった。とても解り易かったのだ(奇を衒って逆を云っている訳では決してない)難しくて解らない映画は沢山観てきた。それは僕の無知ゆえの事だろうと思える。しかし本編は違う。夢ってこうよ。変な感じよ。解るのだ。昔、好きな人の写真を枕の下に置いて寝るとその人の夢をみる。というのがあった。確かに夢に出てきたが、枕に潰されてぐしゃぐしゃの顔で出てきた時は寝汗をかいた。思い通りの夢はみれないのだ。それは現実と似ている。

監督談によると、この作品は始め「フラクタル」というタイトルで進んでいたようだ。フラクタルとは「自己相似性」と訳される図形の理論の事で、複雑な図形の一部分を拡大していくと、その図形の全体の形と酷似するという理論である。おそらく、その人間の小さい一部分を拡大していくと、どの部分も、その人間の全体像に似ている。という事なのだろう。「自己相似性」=「自分に似ている」という事だ。「自分に似ている」か、自分が自分に似ているなんて、考えてもみなかったなぁ。



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